きっかけは、運転中に消えていくアイディア
運転中に、ふと面白いことや役に立ちそうなことを思いついたり、忘れていた大切なことを思い出したり。あなたにも、そんな経験はないだろうか。
「後で必ず思い出そう」と心に誓うものの、目的地に着く頃にはもう記憶の彼方。あの時ひらめいたはずの、言葉のかけらさえ掴むことができない。この、どうしようもなくもったいない感覚。移動中でも、思考が生まれたその瞬間に、それを逃さず記録できる環境があれば、と何度思ったことか。
そんなある日、僕は「三上(さんじょう)」という、示唆に富んだ言葉に出会った。
これは、今から約千年前、中国・宋の時代の偉大な学者である欧陽脩(おうようしゅう)が提唱した、思索を深めるのに最も適した三つの場所(あるいは時間)を指す言葉だ。
- 馬上(ばじょう) :馬に乗っている時(現代の我々にとっては、車での移動中などがまさにこれに当たるだろう)
- 枕上(ちんじょう):枕元、つまり寝床の中
- 厠上(しじょう) :厠(かわや)、つまりトイレの中
一見、執筆や勉強には最も不向きに思えるこれらの場所こそ、心が日常の雑務から解放され、かえって良いアイデアが生まれやすいのだと、欧陽脩は説いた。時代を超えて、人間の思考の核心を突くこの教えに、僕は深く頷かされた。
問題は、その「馬上」や「枕上」で生まれた貴重なひらめきを、いかにして現代の我々は捉えることができるのか、ということだ。
現代の答え?|スマートフォンの「2ステップ問題」
現代人にとって、最も身近な記録ツールは間違いなくスマートフォンだろう。
僕もすぐさま、愛機であるGalaxy S24の「背面タップ」機能(注1)を設定してみた。
これで、どんな状況でもワンタップで記録できるはずだ、と。
しかし、すぐに一つの壁に突き当たる。
「ロックの解除」だ。
そう、背面タップ機能は、画面がアクティブでロックが解除された状態でないと機能しない。
つまり、アイデアを記録するまでには、
- ロックを解除する(1ステップ)
- 背面をタップする(2ステップ)
という、最短でも2ステップが必要になる。
たった2ステップ。されど2ステップ。
ひらめきが生まれてから記録するまでの、この僅かな時間と手間が、僕たちの繊細な思考の流れを断ち切るには十分すぎるほどの「ラグ」になることがある。スムーズに思考と行動が繋がらない、この小さな違和感。それは、「快適な自己表現」を追求する僕にとって、見過ごすことのできない問題だ。
注1:SamsungのGalaxyシリーズでは「Good Lock」という公式アプリ内のRegiStarという機能を使うことで、この背面タップが有効になる。
古代の答え?|「書く」という行為の再発見
スマートフォンが最短でも「2ステップ」を要するのに対し、紙とペンは思考と記録の間に介在するステップがない。ペンを手に取り、紙に触れた瞬間、思考はすでに文字という形になっている。これは、もはや「1ステップ」と呼ぶことさえおこがましいほどの、思考と一体化した「瞬時の行為」と言えるだろう。
そして、その価値は単なる速さだけに留まらない。「書く」という行為そのものが、私たちの脳に与える影響は計り知れないのだ。
プリンストン大学の研究(注2)によれば、手書きでメモを取った学生は、パソコンでタイピングした学生よりも、内容の記憶・理解度が高かったという。これは、手書きがタイピングよりも遅い分、書く内容を自分の言葉で要約し、能動的に情報を処理するからだ。手を動かし、文字の形を認識し、文章を構成する。この一連の作業が、脳の広範囲を活性化させ、記憶の定着を助けるのだという。
子供の頃、プラモデルの説明書を読み込みながら、「なぜこの形なんだろう」と思いを巡らせたこと。”カチリ”と小気味よい音を立てる腕時計のボタンに、心が躍ったこと。僕の根幹には、常にそんな「手が喜ぶ」ような感覚がある。
紙の上を走るペンの微かな音、指先に伝わる紙の質感。
「書く」という行為は、思考を記録するだけでなく、僕たちの五感を通じて、その思考そのものをより深く、鮮明に、そして豊かにしてくれるのだ。
注2:プリンストン大学のPam A. Mueller氏とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のDaniel M. Oppenheimer氏による2014年の論文”The Pen Is Mightier Than the Keyboard”に基づくもの。
これからの探求
この思索を経て、僕は「瞬時の記録」と「思考の深化」という二つの目的のために、自分なりの運用方法を見出した。
まず、欧陽脩の「三上」のような、いつ訪れるか分からないひらめきを「瞬時に捉える」ための道具。特に、冒頭で触れた運転中のように両手が塞がっている現代の「馬上」の状況では、物理ボタンひとつで即座に録音を開始できるボイスレコーダーは、まさに最適解と言えるだろう。
そして、その記録した声の断片や、じっくりと腰を据えて考えたいテーマを「深く耕す」ための道具。これには、やはり紙とペンが欠かせない。手で書き、図を描き、線で繋ぐ。このアナログなプロセスこそが、思考に血肉を与え、自分だけの「魂」を吹き込んでくれる。
もちろん、最終的にはそれらを手書きのメモからデジタルに移し、GoodNotes、Google KeepやOneNoteのようなアプリで知識を体系化していく。アナログの思考とデジタルの整理・検索性。この二つを使い分けることこそが、僕の「キュレーター」としての日々の営みなのだ。
僕の「快適な記録環境」をめぐる探求は、まだ始まったばかりだ。
これからも様々な道具や手法を試しながら、思考を逃さないための快適な環境づくりについて紹介していきたい。
もし、あなたが実践している素晴らしい方法があれば、ぜひコメントなどで教えていただけないだろうか。
一緒に、この探求の旅を続けていければ、これほど嬉しいことはない。