筋トレを始めて3年が経とうとしている。
自分の中には、今も重く、静かに居座り続けている一つの成功体験がある。

コロナ禍という、世界中の時計が止まったかのような特殊な環境下で成し遂げた、20kg以上の減量だ。あの時、確かに自分自身を完璧に統制していた。
週5回のジム通い、「分割法」という知識の習得、そして寸分の狂いもない食事管理。鏡の中に現れた新しい自分は、努力が正しく報われることを証明する、何よりの証拠だった。
しかし、その輝かしい過去が、今の自分を静かに追い詰め、モチベーションを枯渇させていることに気づいたのは、つい最近のことだ。かつての「完璧な正解」を、状況が変わった今もなお、なぞろうとすればするほど、身体も心も重くなる。コロナが終焉し仕事や生活の波によってスケジュールがわずかに崩れただけで、取り返しのつかない失敗をしたかのような焦燥感に襲われる。
かつて自由をくれたはずの仕組みを、頑なに守ろうとすることが、いつの間にか自分を縛り付ける檻へと変貌していた。
トレーニングノートの「日付」が暴いた、生活とのズレ
なぜ、あれほど熱かった情熱は消えかけているのか。自分自身が作り上げた「仕組み」を、もう一度、白紙の状態から点検してみることにした。

手元には、日々の記録を欠かさず記してきた一冊のトレーニングノートがある。ページをめくれば、そこにはびっしりと種目、重量やセット数が書き込まれている。ボクは今日まで、決して足を止めたつもりはなかった。
だが、記録された「日付」を改めて見つめ直したとき、隠しようのない事実が浮き彫りになった。ジムへ通う間隔が、以前よりも確実に、そして不規則に広がり始めていたのだ。

ボクが採用していたのは、全身を4つの部位に分けて鍛える「4分割法」。本来、この手法は1部位あたりの強度を極限まで高められる、非常に優れたアプローチだ。月曜日に「胸」をやったら、火曜日はすぐに「脚」を鍛える、といった流れるようなサイクルが理想だ。
しかし、今の現実は過酷だった。仕事や用事が入るたびにジムへ行けない日が続き、サイクルがどんどん後ろにズレていく。
ようやくジムへ行けたとき、ノートに記された前回の「胸の日」は、2週間も前の日付になっていた
「本当はもっと早く来られたはずなのに・・・。」
「またサイクルが壊れてしまった・・・。」
ノートを開くたびに、記録されている日付そのものが、無言のプレッシャーを与えてくる。このズレが、やがて「筋肉が衰えてしまうのではないか」という漠然とした恐怖からストレスへと変わり、ジムへ向かう足取りをさらに重くさせていたのだ。
ボクの心を蝕んでいたのは、機能的であるはずの「4分割法」が、今の生活のリズムと激しく衝突し、摩擦を起こしている音だった。
知識としての「継続」と、体感としての「再設計」

この停滞から抜け出すためのヒントは、皮肉にもコロナ禍のころ愛読していた一冊の本の中にあった。フィッシャーマン氏の著書「フィッシャーマン式 筋トレ以前の筋肉の常識」だ。

この本が説く「継続性」の大切さは、知識としては十分理解していたつもりだった。トレーニングの成果を説いたピラミッドの図解において、いつだって影響力が高いのは「継続」である。
しかし、かつての成功体験に縛られていたボクは、その「継続」の意味を履き違えていた。
ボクにとっての継続とは、あの日決めた「完璧な分割法」を守り通すことであり、今の生活に合わなくなっているその計画を意地でも維持することに、神経を注いでいたのだ。
だが現実は、理想のサイクルを守ることすらままならない、迷える子羊だ。
筋トレ3年目の今日。「できて当然の上級者」だと定義した自分を捨て、高いハードルを課すのをやめ、土台である「継続」を死守するために、仕組みを作り直す決断をしたのである。
「完璧」から「楽しさ」へ
これからは、その日その日の完璧さを積み上げる思考を捨て、1週間という単位で自分を管理する思考へと舵を切ることにした。
科学的な知見によれば、身体を変えるために最も重要なのは「週あたりの総負荷量(重量×回数×セット数)」だという。特定の曜日に何をやるか、どれだけ頻繁に行くかよりも、1週間という期間の中でどれだけの刺激を筋肉に与えられたかが、最終的な結果を左右する。
この視点の転換は、劇的な心の平穏をもたらした。
もし平日に仕事が立て込んでジムへ行けず、特定の部位のサイクルが飛んでしまったとしても、週末に全身をバランスよくトレーニングすることで、週全体の目標をクリアすればいい。
「今日は胸をやらねばならない」という固定観念を捨て、「今週という一週間を、どう筋トレで彩り、楽しむか」を考える。
特定の種目や曜日に縛られず、自分のライフスタイルに合わせて週全体のボリュームをデザインしていく柔軟な発想に切り替えたのだ。
かつてボクを支配していた、サイクルがズレることへの「焦り」や「恐怖」は、いつの間にか消えていた。代わりに、「今の自分なら、今週をどう心地よく終えられるか」という、自分主体の前向きな試行錯誤が始まったのだ。
ハードルを下げる勇気
成長したいとき、常に高いハードルを設定しがちではないだろうか。今の歩幅と、自身の限界を正しく見極めること。そして、勇気を持って、今の自分に合わせてハードルを下げることができること。それもまた、自分らしく生き続けるための、立派な成長なのだ。
ジムへ「行かなければならない」という義務感から、「行ける時に行く」という軽やかさへ。
心理的なハードルをあえて下げることで、逆説的に、ボクの心には再び「ジムに行きたい」という純粋な気持ちが戻ってきた。

悩みながらの筋トレ中、あえて緩やかな筋トレ法を書き込んだ。週2回か。全身法か、あるいは上半身・下半身の2分割か。
かつての自分が見れば「甘すぎる」と笑うかもしれない。だが、これこそが呪縛を解いている瞬間なのだ。
完璧さはないかもしれない。だが、そこには確かな「継続」があり、生活と身体へのいたわりが、再び心地よく調和し始めている。
あなたは、今のメンタルや体調を、客観的に可視化する仕組みや知識を持っているだろうか。
思い通りに計画が進まず、自分を責めてしまいそうなら、まずは意志の力に頼るのを一度やめてみてほしい。日記帳、メモ帳やツールを使って自分を静かにモニタリングし、システムの方を今の自分に合わせていく柔軟さを持つこと。
そうして少しだけハードルを下げてみると、そこにはまた、これまでとは違う心地よい景色が広がっているはずだ。

